サッカー選手になりたかったけどなれなかったについて

やりたい事について話すと,やりたいことをやれない人もいるよねという話が出がちです.その一例として,子供の時になりたかったサッカー選手に自分はなれなかったというものがあります.今回は夢を叶わなかった人がやりたい事にたどり着き,それはやりたいことをやれていないということではないかという話です.

やりたいことをやれないことは無いです結論から申し上げますと.これはやりたいことの定義からなるのですが,やりたいことをやった方がいいという話を始めて聞いた人は勘違いをしがちです.やりたいことっていうのは自分が心の中でしたい,やりたいなと思っているものでは無いのです.やりたいことというのは自分の経験から導き出されるやった後にこれが自分のやりたいことだ!ってなるものもっと言うと,やってみてそれができて自然と頑張れるもののこと.

サッカー選手はやりたい事をしていないのか.もちろんしているんですね.サッカーが好きでサッカー選手になることを目指し,いろんなことを乗り越えてサッカー選手になった.これはまぎれもなくやりたいこ戸をしているんですね.プロはほとんどの人がやりたいことをできているんですねしっかり.そういう人たちってやりたいことを探してサッカー選手になったのではなくて,サッカーをしてたらサッカーが楽しくて好きでなんか続けれて,続けたら上手くなって,サッカーのプロ目指してプロになった人.中には違う人もいるんですけど.別視点から考えると,サッカー選手のやりたいことってサッカーですか違いますよね.なぜ違うかというとサッカー選手引退した人ってどういう人なのか,サッカーを続けれなくなった人なんですね,そのプロサッカーの環境で.本当にサッカーがやりたいことだったとしたら,サッカー選手がね,そしたら引退した後も草サッカーグループみたいなとこでサッカーし続けると思うんですね.中にはそんな人もいると思います.ですがほとんどの場合そんな人はいなくて,何か違うことをしていると思います.サッカーに関係はしているかもしれませんが,サッカーのプレイを世界中に見せる仕事はしていません.なぜならそれができるならサッカー選手を続けているからです.だからサッカーがやりたいことってだけでサッカー選手で活躍している人はいないんです.いないというか皆諦めている.やりたいことがやれないような状況になっているんですね.けどそれって違いますよね.多分長いサッカー人生の中でやりたいことが他に出てきたんです.それをやっているんです.つまりやりたいことっていうのはそれまでの経験からなる自分が無理なく続けれること.

アフリカの子供とかってそんなことできないって話やけどそれに対しては,やりたいことなんて考えなくていいからに尽きるんですね.やりたいことっていうのはあくまで暇つぶし.生きる目的ってなんだと思いますか.自分の人生の目的ってやりたいことじゃないんですよ.やりたいことを探す事でもないんですよ.生きる事なんですよ.生きて子孫を残すことが人生の目的なんですね.それが十分にできている環境にいる我々だからやりたいことなんて考える暇があって結局暇つぶしなんです.最近になってやりたいことブームが来たこともこれで説明がつく.子供だってそう,生きることに必死だから.暇なんてないんですね.サッカー選手になれなかったのは,ならなかっただけで,無茶を言えば親の反対を押し切っていくこともできたわけ,けどそんなこと実際言えないし,正直できないよね普通に生きてたら親の反対押し切るなんて.だからまあどうなんかなーって思ってたんですけど.そういう選択を取ったのも自分で本当はそっちを取りたかったから本当にやりたかったことはあきらめる事だった.って思ってたけどそうでもない.子供ながら自分に才能が無いのを理解していたわけでもない.そういう事じゃなくて.まあ正直過去のことはどうにもできないから今のことを考えるしかないんだぜ,って言っている間の居間ですら過去になるから,つまり今が一番考えれるうえで変えることができる過去なんだぜっていう心が最低限必要です.今子供のころの夢はやりたいことじゃないのかっていう話,育児の時の話とかだけどそれは答えを今まだ用意できてないけど,これを考えるってなると人はなぜ生きるとかそういうところから考えんなんから今は答えれないけど,なんか違うって事だけ伝えれたらと.

やりたいことはサッカー選手になることだったけど諦めたけど飯野さんが本当にやりたいことはサッカー選手ではなかったって事の問い,やりたいことを見つけるタイミング

やりたいことっていうけどそれは妥協した結果なんじゃないかという意見。やりたいことについてじゃあ、ゲームがしたい、遊びたい、サッカー選手とかそれってやりたいことでしょうか。サッカー選手はなりたいものだしやりたいことではない。やりたいことっていうのはもっと難しい。例えばサッカー選手になりたい理由を構成要素ごとで分けて考えていったものがやりたいことである。関係性をわかりやすく表すと、やりたいことの要素が集まってできているのがサッカー選手というなりたいものである。例えばボールを足で扱うのが好き、チームで協力して勝つのが好き、人気者になりたい、世界で活躍したい等の要素からできている。これらの要素を持っている人が、これらの要素を満たす職業としてサッカー選手が思い浮かびサッカー選手になりたいとなるのである。だからサッカー選手はなりたいものであり、やりたいことではないのである。逆にいうとサッカー選手は全ていいと思っているかもしれないが、人それぞれで嫌な部分はあるだろう。

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